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大家悪魔に魂売る 2

1960年70年代に戦後の自転車先駆者の多くがヨーロッパを訪れ、それぞれの記録がニューサイクリングに掲載された、山王スポーツの高橋 長敏さん、杉野鉄工の杉野 安さん、そしてその後の大家TOM氏の記事は詳細を解説してあり、その中から私はフランスの車種体系を知っていった、ただその当時、その車種体系は普遍だと思っていた。
 80年代、私は片倉自転車に勤務していた、その当時、神奈川大学で自転車のセミーナーが度々開催された、神大では自転車の走行ロボットを研究しており、その研究室が主催していた。そのセミナーにミヤタ自転車に居られた大家TOM氏を招いて、セミナーが開催されると話を聞いて、憧れのTOM氏の話を聞こうと参加させていただいた。
 その頃、TOM氏はフランス車の解説記事ではなく、ヨーロッパのレースとレーサーの記事を書かれ、エディメルクス・ミヤタの自転車を企画して、その後コガでのレース活動の道をつけ、国内レースでも最強のミヤタレーシング監督も勤めた、そんな憧れの大家の話を聞けるのだ。
講演の内容は、、北米でのバイコロジー運動で一挙にスポーツ車の需要が増え、日本製の部品を付けた、日本の名前の10スピード車(27X11/8のドロップ車)が多く輸出されていた、たとえば、フジ、ニシキ、カブキ、等のブランドでシマノ・サンツアーの仕様で有った、全盛期の日本自転車産業は世界制覇を目指し、世界に通用する自転車を作る=ツールで勝つ! と認識して行動していた日本の自転車会社はシマノ、ミヤタでシマノはジュラエースをフランドリアチーム使い挑戦して、ミヤタはオランダのコガと組んでコガ・ミヤタでレース参戦しているとの内容であった。
 講演が終了して、質疑応答の時間が持たれた、一人の熱狂的フランス車党でその後、筑波でフランス車の店を営んだO氏の「性能の劣る部品、例えば当時のフランス部品は無くなっても良いのですか」の問いに「機能を追求して行くのが自転車で、デザインはその機能と追及して出来た型で、性能が劣る物は淘汰される」と答えた。
過去にフランス車を細部渡り追求した、大家も、過去より未来を目指していたので有ろう。