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片倉シルク最後の日

元祖片倉シルク号(片倉工業さんの子会社)が正式に廃業したのは1997年11月(正式見解ではないですが最後まで働いたOBが解雇された月です)、この時にセキネ・山口・シルクの3メーカーが廃業した月でもあります。セキネ ブーンバイク・カナデアンロード、 山口 ベニックスも消えたのでした、シルクの生産はこの年まで行われていました、片倉工業の事業所 福生 森田製糸工場が終戦後に平和産業への以降で自転車製造を開始してから60年でした。
創業の地 福生市熊川の青梅街道沿いの工場は元製糸工場なので工場の下を川(用水)が流れ、この水は多摩の美酒「多摩自慢」の清酒工場から流れて来る清流で、庭の池には藤棚が、北側の便所からは奥多摩の山並みがよく見えた、のどかな工場でした。
この福生工場は1989年に八王子に移転、その3年後には三和自転車(セキネ・山口)と合併したのでした。
福生で生産された80年代までが本来のシルクらしいモデルと言えると思います。

コメント

その福生の隣の地で、80年代半ばのランディオーネと76年型シルクキャンピングを持っています。
こちらの地では何気ない自転車屋にシルクの自転車が眠っていたりします。
私のランディオーネもごく普通のお店だったんですが、15年以上、壁の真中に飾られていたそうです。
このお店には、片倉のミニサイクルがまだおいてあります。

76年型シルクキャンピングは高校時代からの思い出の1台です。
図々しくも型番をネット名に使わせてもらっています。

 
 小生、長年「片倉シルク」ランドナー&キャンピング
に憧れているものですが中学生当時は高額のため購入できませんでした。
 片倉自転車は既に廃業去れてしまったようですが、貴殿の文章を読ませて頂くと、片倉自転車の製造部門の一部(?)を引継いだ三和自転車工業が「シルク」を継承しているとのことですが、「三和製シルクランドナー」なるものも(片倉廃業後最近まで)製造されていたのでしょうか?
 また「片倉(純正)シルク」と末裔の三和自転車のシルクランドナーを比べるとどのような違いがあるものなのでしょうか?あるいはプロからすれば両者は全くの別物なのと考えるべきなのでしょうか?
 三和シルクランドナーの写真を身やことがありますがその限りではかなりきれいな出来映えで下が・・
 大変申し訳ございませんがよろしければ、本家「片倉シルク」と「三和シルク」の違いについて簡単にご教示いただけませんでしょうか?

 以上、長文および突然の無礼な質問をお許し頂ければ幸いです。まずはご質問まで。

三和自転車にシルクが引き継がれてからも、シルクラウンドナーとロードは生産していました、これはラグ付になっています。三和になってから片倉の名称が付けられないのでシルクのみのマークです。
福生から八王子に移ってからはフレームは社内では作っていません、この以前も段々に外注フレームになっています。80年代になるとスポーツ車のラグ付きフレームの量産が可能になりましたので社内でのコストが合わなくなって来たためです。
ラグレスのPR10等は全て福生工場製です、これがオリジナルと思います。

 拝復 Arai様 

 ご丁寧な回答頂きありがとうございました。生き証人による回答だけに大変参考になりました。「片倉シルク」と「三和シルク」の相違点が良くわかりました。
 偶然このホームページを拝見させて頂いたのですが、プロの職人の生き様というか魂、気概を感じます。
 恐れ入ります。
 
P・S つい慌てて個人名で書いてしまいました。お手数ですが、名前の部分は削除して頂いて結構です。
 この度はどうもありがとうございました。まずは御礼まで。
 

こんばんは。
片倉シルクを探しに探していましたら、偶然、
こちらのサイトに出会えました。
24歳で転職(独立)したため休眠サイクリストになっていました。
26年の歳月は長かった…
ようやく走り出そうと思ったらフレームの生みの親はこの世にないことを知りました。ショックです。
浦島太郎は、一気に玉手箱を開けてしまった…感です。
今、フレーム(ロード)に肉付けして息を吹き返す努力中です。
いつか伺いたいなと思います。

少しはゆとりが出来て、自転車に乗ろうとした時、機材の進化も驚くが、乗り方も変わったと思う、サイクリングは自転車旅行が主体で、運動=競技の人は別な感じだった、今は運動=競技な感じで乗っている方が多い。今は峠の上でお茶はしない、昔の刷り込みが有ると峠の上で自分沸かしてお茶したい。昔はコンビニないし、水は沢から汲んで来たから山の上の方が水も旨いし。
旅行ブームなのに旅行用車が無いのも、自転車メーカーの責任かな?

 30年ほど前に購入したツーリングタイプのシルクに乗っています。
 最初1年ほど乗り、後は納屋にしまっていました。
 健康の為に半年ほど前に、自転車で通勤する事にし引っ張り出すと塗装も変化が無く新品同様でした。
 しかしタイヤが劣化し 乗っているうちにサイドのワイヤが切れ タイヤは替えました。 
 非常に軽く、今の自転車に比べペダルを漕がなくても惰性で長距離を進みます。
 駄目になった時に同じ自転車が欲しく、探していてこのページを見つけました。
 会社が無くなったのは非常に残念です。
 大切に乗ります。今の所フレームに殆ど傷が無く新品同様ですので。
 次の日曜に磨き直します。

大変失礼しました。
片倉工業さんは健在で
埼玉最大級のショッピングモール「コクーン新都心」の運営をされている事を知りました。
私の自転車は輪行型でした。
自転車屋さんがB社やN社の方が少し安いが性能・品質で買い得だと言われて買いました。
30年経ちなっとくしています。
今 このような自転車は無いのですかね?

片倉工業は明治以降の紡績メーカーとして長い歴史を持っています、コクーン新都心も旧 片倉大宮製作所の跡地です。
輪行車の車種自体が消えそうなこの頃、30年前は自動車利用のサイクリングの方が稀少で、自動車用の自転車キャリア自体国産は無かったですね。
環境問題も考えなかった30年前、いまだからこそ輪行で環境に優しいサイクリングが見直されば良いのに。

初めて書き込みをさせていただきました。頑張ってくださいね。期待しております。
さて、以前競技をやっている知人から、現在はなくなってしまった貸与車制度で高校生に貸しだされていた自転車は片倉と松下の2社のみだったと聞いたことがあります。細かな規定も聞いたのですが忘れてしまいましまた。このへんの事情をご存じでしたぜひお教えてください。宜しくお願い致します。

高体連の貸与車なつかしいですね、私は高校で競技したいた頃は機材の公平制の観点からインターハイに参加する選手は全て貸与車で走る事が義務付けられていました、体の大きさは関係なく1つのサイズに強制的に乗せられた物でした。元々はサイクリング少年でしたが当時の高校競技部は競輪選手の予備校状態でしたので、入部を決意出来ない私に、先輩に入部するとロードレーサーが部から貸与されると言われ入部を決意しました、そのときのロードはシルクR2でした、色は当然高体連カラーのブルーです。1970年後半になると競輪からの補助金削減され貸与の台数も減り、何時かわかりませんが80年代に消滅していました、70年台の後半は各メーカーがロードレーサーを生産し始め宮田のメルクス仕様の貸与車もありました。

片倉シルク号は私がはじめて手にした本格的な自転車でした。1973年に友人と大阪~島根の帰省サイクリングを計画し、そのためのキャンピング車として選びました。当時、メーカーから販売されていたキャンピング車は、片倉以外に、ブリヂストン、ナショナル、ツバメ、ツノダ、富士、ミヤタなどがありましたが、その中でも一番ハンドメイド色が強く憧れのトーエイなどのオーダー車的なフィーリングをもっていたのが片倉シルクキャンピングSC15でした。その後7年間ほど相棒として活躍してくれましたが、不注意から盗難にあい残念な別れとなってしましました。その後、自転車部品業界に就職することになり、偶然にも片倉自転車を担当することになり、福生や後の八王子の工場にもおじゃますることになろうとは、シルク号で日本全国をサイクリングしていた頃には夢にも思いませんでした。廃業された時にはつらいものがありましたが、あのすばらしいユーテクティック工法などの技術を駆使したフレームづくりは永遠に記憶に残っていくことと思います。

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