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2005年12月31日

2005年中国でのクリスマス

12月は中国での検品でブログ更新も暫し中断、クリスマスもシンセンで向かえ、帰国したら体調不良になっていた。自転車の生産は益々中国に移転している、現地のメーカーも得意な客先があり、大別して欧米向けと、日本向けは大きく違う、特に日本のバイヤーは英語・中国語でのやりとりは不得意なためか、日本向けを主体にしているメーカーでは日本語で商談は全て出来る。今まで勤務していた世界最大の自転車メーカーは国際企業を自負しているので、各国販売会社と本社の連絡は基本は英語であったのに。日本向け主体のメーカーでの仕事は自分の負荷は少ないが、果たして先方に伝わっているかは分からない。中国人と日本人が外国語である英語でコミニケーションする方がお互いに確認し合うし、ミスは少ないと感じる。
言った事が全て通じていると日本人は考えやすいが、ほとんどの国では言葉は同じ国でも通じないは普通の事だ、中国語の標準語は北京語だが、それぞれの方言があり台湾は台湾語、香港は広東語と言うが、上海には上海語が有るし、その近郊の昆山は車で1時間しか離れていないが昆山語がある、これは大阪弁とかの方言ではなく、日本語と韓国語くらい違う。 こんな国では言葉通じない人がそばに居るのは当然の事で「言ったじゃない」は通用しないのが世界の常識と考え方が良い。
日本向けは益々少量・多品種になって、開発まで時間も短く、商品のサイクルも短命になっている、当然メーカーの担当者の技量が重要であるが、そこは中国業務多忙になれば担当者を増やす、日本語を勉強した学生は多く、優秀ですぐに業務になれ、PCの扱いもオヤジの私より当然うまい。
今まではコミニケーションの問題で試作品等を日本で作る事も多く有ったが、優秀な担当者とネット環境の整備の伴い、試作から現地で十分になって来た。
 それにしても、クリスマスも無く働く、彼らのパワフルな仕事ぶりは成長する中国そのものだ。

2005年12月06日

アルミフレーム

アルミパイプから溶接して作ったアルミフレームは、どんな点が鉄と違うのか、材料の機械的特性は措いておいた、フレーム工作する時の一番の問題は疲労強度が低い事だ。
アルミフレームで折れる物があるのは、殆んどの場合フレームに成った後に、塑性変形した部分から折れる、つまり、フレームが落車等の原因でセンターが狂う、角度が変わる、などパイプが塑性変形するまでの力が加わった部分から折れる事がが多い。
フレーム製作の上でも7000番等の溶接後,溶体化の熱処理をしない、グレードは溶接時にセンターが狂たら、センター出しが出来ない、センターを出す=塑性変形させる なので、下手にやると折れる原因になる。

2005年12月04日

アルミパイプ

アルミのフレームはこの頃はクロモリフレームより安い、特にラグ付きクロモリフレームは高い、なぜだろう?最初はアルミパイプの話。
アルミパイプの製造は簡単だ、中国でも日本でも、素材はインゴットでオーストラリア等から輸入されている、資源が有り電力コストの安い所から来ている、日本ではリサクル再生用でインゴットを作る事もある。インゴットは加熱してから、押し出し成型される、油圧シリンダーで押し出して成型するので、成型された物は押出材と言われ、5000番アルミの押出材はアルミサッシが代表的製品だ。
自転車のパイプ径31.8肉厚1.6程度だと一回の押出しで30mから40mのパイプが出来る。
チューブからマヨネーズを押出しているのと同じ感じで出てくる、リムも同様に押出しで出来る。
以前勤務していた、巨大では中国に自社の押出工場を持っている、自転車のパイプ・リムはもちろんキックボードの板の部分やヒンジも作れる、バイクボードのフレームの板も押出で作った、これは中空部が5部屋あり、肉厚も各部で変えて有ったので、押出しの圧力が必要で、すぐに金型がこわれた。
ワイヤー内装のフレームを作る時に押出成型でパイプの内側にワイヤー内装のパイプを最初から成型できる、又、押出成型とベンダー曲げそしてハイドロを使うと、巨大が3年前にサイクルショーに出したトライアルフレームが出来る、この辺はアルミの加工性の良さの実例だ。

アルミ押出材はインゴットの状態より強度は上がり、安定した製品で溶接や熱処理での変形も少ない、しかし、これをバデットに加工するには、引き抜きで加工している、一番良いのは押出の時にバデットにすれば良いのだがバデットパイプの需要にそんなに多くはないので、引き抜きのままである。
引き抜きすると一度、圧力によって整列した原子が今度は引き伸ばされて整列しなおす事になる、このため溶接や加熱で原子が押出の状態に戻ろうとするので、変形が大きい。

2005年12月01日

大家悪魔に魂売る 5

巨人自転車の日本販売会社は1998年創業です、その翌年片倉シルクも藤森社長を失い、三和グループの一員になった。
三和はセーラー万年筆の関係会社、台湾での生産、カナダでの販売等を行ってきた会社なので、巨大機械工業からの輸入もしていた、その時の巨大機械の日本担当者は、その後部品のブランドを立ち上げ、今や世界的なプランドになっている。
90年当初はNISE製品と言われ、やすかろう悪かろうの製品と認識されて、自転車店の店頭には自転車組合で作った「NISE製品お断り」の貼り紙が有って、台湾の巨人は苦戦のスタートだった。つまりその当時、日本自転車界から見れば巨人自転車は悪魔だったのだ。
当時にマウンテンバイクブームが世界的に加熱して来て、シマノ・アラヤ等の部品は品薄で有ったが、巨大だけはその企業力でなんとか確保できた、この辺が巨人の成功の理由だったと思う。
その後、大家は台湾本社の人事により来た社長と会わず退社して、LGブランドを立ち上げた。
マウンテンブームも一段落してきた21世紀、巨大はついにツールに参戦した、ツールもアームストロングにより、アメリカでのスポーツ用品のプロモーションと、見せるスポーツのメデア戦略により、大リーグ・NBA化したので、台湾企業は理解し易い状況にもなっていた。
ついに悪魔は日本自転車業界の目標もかなえたのだ。